INTERVIEW01

SPECIAL INTERVIEW

猪熊敏博氏と山田英之の対談

人との出会いが、
仕事をつくる。

猪熊敏博 × 山田英之

クラブ ワルシャワから、音楽・広告・EC、そしてAIへ。
二人の仕事と時代をたどる。

OUR GUEST

猪熊敏博

TOSHIHIRO INOKUMA

株式会社第一紙行
シニア・ブランディング・ディレクター

山田英之

HIDEYUKI YAMADA

株式会社カレント
代表取締役

ふたりが出会ったのは、1980年代末の東京。店舗づくり、音楽、広告など、それぞれの仕事を通じて続いてきた関係は、40年近い時間になった。今回は、山田が歩んできた事業やプロデュースの仕事、猪熊がワコールで携わってきた広告・販促の仕事、そして現在のECやAIまで、それぞれの経験をたどりながら語り合った。

収録:2026年9月24日

本文の「追記」は収録後の山田による補足。「資料補足」「対談の論点」は発言とは分けて掲載。写真・資料画像の説明は各画像の直下に配置。

01

サザビーから、クラブ ワルシャワへ

1987–1989

サザビーの仕事と、田中康嗣さん(元博報堂コピーライター)との出会い

山田

今日は昔話を1時間ほどさせてもらいたいんですけど、一番最初に会ったのは、クラブワルシャワですかね。

猪熊

僕が社会人になった年だったかもしれないですね。1987年か88年。

山田

クラブワルシャワがオープンしたのは1989年の8月なんです。あのお店は、当時一緒にいた田中康嗣さんの高校時代の知り合いのお父さんが、大阪でも有名なバブル期の不動産会社をやっていて、東京の芝大門にビルを買ったから、「そこで何かやってみないか」という話が来たと、、記憶してます。それで当時東京駅にあった田中さんの職場である博報堂の会議室で企画書を延々と作った。それがオープンにつながっていくんです。

山田

当時、僕はサザビー(現サザビーリーグ)にいて、東品川の寺田倉庫に会社があったんですよ。1階にファミリーセールのスペースがあって、そこに当時のサザビー社員の友達として田中さんが来た。家が代官山で近所だったので、そこから仲良くなったんです。僕はその頃、サザビーの仕事で銀座のディスコ「Mカルロ」の内装案件なんかを社員としてやっていて。田中さんから「実はディスコ(クラブ)をやる話がある」と聞いた。その時点ではもう、ディスコをやること自体は決まっていたんですよね。

猪熊

なるほど。僕の参加は少し遅かったんですね。

猪熊

オープンしてから、お客さんとして来たんです。当時はバブル期で、ピンキー&ダイアン(ボディコンの象徴ブランド)みたいなブランドの服を着た女性たちが、毎晩ディスコで熱狂する、新しいカルチャーが生まれていた。僕が初めて田中康嗣さんを見たのは、青山のキング&クイーンだったと思います。

※青山 KING & QUEENマハラジャグループによる大型店。華やかな空間演出と大規模な店舗づくりが注目を集めた、当時の東京を代表するディスコのひとつ。

山田

そうか。店をやる前は、みんなで遊んでいたんですよね。

猪熊

そうそう。

Mカルロ(銀座)
Mカルロ(銀座)。山田がサザビー時代に店舗用家具・インテリアの仕事に関わったディスコ。提供経歴資料より。
KIHACHI青山本店の参考写真
KIHACHI青山本店の参考写真。サザビー時代の関連店舗を説明するための資料で、在籍当時の撮影写真と断定しない。

ワルシャワが話題になった時代

猪熊

キング&クイーンに行ったら、ダブルのスーツを着た2人が肩車して踊っていたりして、「どういうところ(お店)なんだ!!」と。驚きましたね!大手出版社に勤めている友達がいて、その友達を介して田中さんを紹介してもらったような記憶があります。クラブワルシャワへ行ったのは、8月のオープン直後だったと思います。

猪熊

そうそう。

山田

毎日すごい人でしたよね。取材対応もものすごく多くて、ファッション誌、週刊誌、新聞、それからテレビ。ほとんど全部のメディアに出たんじゃないかな。何度もインタビューに答えました。当時はまだベルリンの壁が崩壊する前で、東欧のイメージも強かった。「ワルシャワ」という店名自体が、当時としてはすごく謎な存在。ソ連のタス通信社から取材依頼が来たりして、「殺されるんじゃないか」なんて冗談で言っていた記憶もあります。当時はまだ「クラブ」という言い方もあまり一般的ではなくて、基本的にはディスコブーム。だから、本当に人はたくさん入りました。

猪熊

すごかったですね。(笑)

山田

楽しくやった分、儲からなかったはずです、経理にかかわっていなかったからよくわかりませんが、、

クラブ ワルシャワの内装
クラブ ワルシャワの内装。壁面の造作と赤い家具を配した空間。山田提供の当時写真。
クラブ ワルシャワ B1Fの赤い照明の内装
同店の赤い照明を使った内装写真。異なるフロアの表現を示す資料として採用。山田提供。

02

近代生活研究所。企業広告からTMNへ

1989–1996

店の運営から、企業広告と空間の企画へ

山田

ワルシャワ自体は実質2年くらいかな。最終的には銀座の老舗料亭の方に買い取っていただきました。売却先のお名前は、もうはっきり覚えていません。

猪熊

かなり昔ですからね。

山田

そのあたりの実務は近代生活研究所代表の田中さんや小松さんたちがやっていたので、僕は細かいところまではわからなかったですが、現金で受け取ったようで、まとまった金額を見たのはあの時が初めてだったと思います(笑)

近代生活研究所は、ワルシャワの経営だけではなく、店舗プロデュースや空間プロデュース、広告企画などをやっていました。サントリー関連の案件もありました。今のソフトバンク本社などがある汐留エリア、当時はJRの操車場跡地だった場所に「サイカ」か「パックスシアター」だったと思うんですが、そういう企画があって、プロジェクトの企画案をサントリーさんに提案したりしていました。その頃から、TM NETWORKの小室哲哉さんとも関わり始めました。三菱商事の広告宣伝系の事業部とも業務提携していました。いいパートナーがたくさんいた時代ですね。

山田(追記)

当時、店舗や空間のプロデュースに関わる方たちと一緒に、さまざまな企画を動かしていました。汐留の話も、今の街の姿になる前のことです。JRの操車場の跡地をどう使うかという段階で、サントリーへ企画を持っていった。お店を一つ作って終わりではなくて、その周りからまた次の企画が出てくる。三菱商事の広告宣伝事業グループとの仕事も、そういう広がりの中にありました。そこでTMネットワークの小室哲哉さんを紹介していただいたんです。

山田

近代生活研究所には、だいたい7年いました。店を売却したあとも、企業広告やいろいろな制作の仕事をしていたわけです。企画書をきちんと作るとか、広告をどう考えるかということを、そこで仕事をしながら覚えていった。その経験が、次に会社を移ったときにもつながっています。

WOWOW、グラデミー

山田

その流れで商事の宇宙事業グループがかかわっていた日本衛星放送、今のWOWOWの立ち上げ時期にも関わっていたTMの小室さんと田中氏が仲良くなって衛星放送の立ち上プロジェクトとして映画を作ろうと、、、それがグラデミー社です。「グラミー賞」と「アカデミー賞」を組み合わせたネーミングですね。シナリオを書いたり、本の企画をやったり、今考えると本当にいろんなことをやっていました。

猪熊

家にもほとんど帰ってなかったんじゃないですか。

山田

帰ってなかったですね(笑)。

山田(追記)

TM NETWORKとの仕事はユニットのリニューアルプロジェクトの一環としてコンサートの衣装や映画の企画、木根尚登さんの書籍のプロデュースなど、音楽以外にもいろいろありました。当時、企画書に「TMNプロジェクト」と書いていたんです。その呼び方を小室さんが気に入って、TM NETWORKからTMNへの改名につながった、というのが僕の記憶です。その後のTRFのようなグループ名にも、もしかすると何か影響があったのかもしれません。ただ、そこは僕の想像です。

GRADEMY発足会見の記事写真
GRADEMY発足会見の記事から、会見写真部分を抜粋。映像・映画企画へ仕事が広がった時期の記録。山田提供記事。
木根尚登『月はピアノに誘われて』書影
木根尚登『月はピアノに誘われて』書影。山田の提供資料には基本企画・原案草稿への関与が記される。
TMN『RHYTHM RED』ジャケット
『RHYTHM RED』は、TM NETWORKからTMNへのリニューアル後に発表されたアルバムのジャケットです。
『WORLD'S END Rhythm Red Live』I・IIのジャケット
『WORLD'S END Rhythm Red Live』は、TM NETWORKからTMNへのリニューアル後初となった1990〜1991年のツアー「RHYTHM RED TMN TOUR」のライブ映像作品です。

03

ゲーム制作と、二人で手がけた販促

1996–1999

浅草橋で始まった、新しい制作の仕事

山田

近代生活研究所を辞任した後、日本メディアプログラミングという会社に転職しました。企画書の作り方や広告の作り方は、その前の近代生活研究所時代に学ばせてもらった感じです。それまでは小さな会社で、「何でもやる」という働き方でしたから。

日本メディアプログラミングでは、企業のビデオ制作やプロモーションを手がけていました。入社当初に初めて受注できた大きな仕事が、SEGAの「ぷよぷよ」のイベントです。当時すでに人気のあった落ち物パズルゲームで、セガの支援のもと、全国から参加者を募り、北海道から福岡まで全国7都市で大会を実施しました。募集から運営、制作まで一通り担当し、一般参加者の中から日本一を決めるグランプリ大会でした。あれは、自分にとって一つの大きな経験になりましたね。

山田

日本メディアプログラミングの会社は浅草橋にあって、その近くに猪熊さんが勤務していたワコールの拠点があったんですよね。それで、お互いに近くで仕事をしていることが分かっていったんです。

セガサターン/PlayStation時代

山田

ちょうどセガサターンとPlayStationの時代だったんです。それまでゲーム制作なんてやったことがなかったんだけど、次から次へと企画を作って、受注していった。入社2年目か3年目くらいには、自分が担当していた数人の営業企画部部署の年間売上が6億円くらいまでいったと思います。1案件5,000万円とか8,000万円とか、そういう規模で制作を受けていました。先端の業種と関わりながら仕事をしていく感じですね。おかげですぐに部長に昇進しました(笑)

猪熊

面白い時代ですね。

山田

やのまんという、ジグソーパズルの老舗会社の仕事もありました。その会社の責任者の方が東南アジアが好きで、しかもグラビアアイドルが好きだった。それで「水着のモデルを撮影してジグソーパズルにしましょう」と提案して、フィリピンまでロケに行ったんです。

猪熊

先端に行っている業種と、関わりながらやっている感じですね。

山田

そう。面白そうだから、そちらに寄せていくんですよね。(笑)ゲーム制作は初めてでも、まず企画を考える。担当の方が何に興味があるかを聞いて、それを企画にする。やのまんの実写ジグソーパズルも、セガサターン向けにそうやって提案した仕事でした。そもそも自分はゲームはやったことなかったんですが。。。

フィリピンのパラワン島ロケ

山田

僕は海外ロケ制作の経験がなかったので、本当に大変でした。事前にロケハンで下見はしましたが、、場所がよいからといって無人島のロケまで行きました。撮影機材を積んで、バナナボートみたいな船5艘くらいで移動するんだけど、ロケがおして暗くなったり、、天気が急に悪くなる。救命胴衣も十分じゃないような状態で、「これは本当に死ぬんじゃないか」と思いました。体調悪くなったり、スタッフ同士も揉めるし、お客さんからも「どうなっているんだ」と怒られる。天気が悪いことまで怒られて(笑)。そこで生まれて初めて土下座しました。

猪熊

(笑)

山田

でも、その方とはそれ以降すごく仲良くなったんですよ。「あの時は大変だったね、と。。」土下座も悪くないな、みたいな(笑)。

セガサターン『日灼けの想い出+姫くり』
やのまん/セガサターン『日灼けの想い出+姫くり』。企画プロデュースを担当。フィリピン・パラワン島の全編ロケ資料。
セガサターン『ボディスペシャル264』
やのまん/セガサターン『ボディスペシャル264』。企画プロデュースを担当。サイパン島・シンガポールでのロケ資料。

ウレパールローション。小さなシールの、大きな役割

山田

会社が近所だったこともあって、猪熊さんとはランチをするようになったんですよね。

猪熊

そうですね。

山田

当時、猪熊さんが所属していたワコールの部署は、社外の制作業務も受託するような、制作会社に近い機能を持っていたんですよね。そこで「一緒に企業向けのプレゼンができないか」という話になって、ちょうど僕が営業していた大塚製薬の案件につながった。

猪熊

ウレパールローションプラスですね。

猪熊

製品部のプロダクトマネージャーが担当していた新商品の店頭販促をどうするか、という案件でした。代理店コンペで、販売のノウハウやデザインも含めて、外部の人たちと一緒に売り方を考えていく仕事でしたね。

山田

そうです。かゆみに対応する新商品で、店頭でどう見せるか、POPをどうするかという案件でした。最終的に採用されたのは、商品そのものに貼る小さなPOPシールだったんです。

猪熊

そうそう、

山田

最初に聞いていた仕事の規模からすると、小さな提案になったんですけど、これがすごく効いたんですよ。最初の納品で終わらず、追加、追加でリピートが続いて、記憶では最終的に100万枚くらい作ったと思います。担当者からも「テレビCMより売れる」と言われた記憶があります。

当時は、今のように商品自体にPOPシールを貼るやり方はまだ珍しかった。実際、シールが貼ってある商品から売れていくという話も聞いていて、「僕らが最初なんじゃないか」なんて話していたくらいです。

猪熊

売り場の人の手を煩わせないのも大きかったですよね。

山田

そうなんです。売り場で一つずつPOPを付けたり、什器を組んだりする必要がない。商品に最初から販促機能が付いているから、オペレーションとしてもすごく扱いやすかった。

猪熊

売り場側で何か作業をしてもらうのではなく、商品そのものが販促物になっている。そこが強かったんですよね。

山田

そうですね。最初は小さな仕事に見えたんですけど、売り方の工夫としてはすごく印象に残っています。結果的には、かなりいい仕事だったと思います。

Microsoft。インターネットの時代へ

山田

日本メディアプログラミングに在籍している間に、世の中の仕事の流れも変わってきました。ゲームの仕事をしていたところから、インターネット関連の仕事へと広がっていったんです。そこでMicrosoftへ営業に行って、仕事を取ったんです。WindowsやOfficeの新製品発表会ですね。ホテルの宴会場などを使った大型イベントで、大塚商会のような販売会社の方たちを集めて、全国で説明会をやりました。その時、初めて外資系の人たちと本格的に仕事をしたんですよ。「資料をマージしてください」と言われて、「マージって何だ?」みたいな(笑)。とにかくカタカナが飛び交っていた。

猪熊

分かります(笑)。

山田

WindowsとMacintoshの立ち上がり速度を競争させるデモなんかもやっていました。当時のMicrosoft日本代表が成毛眞さん。すごく厳しい方だったという印象があります。失敗すると担当者の首が飛ぶ、みたいな話も聞きました。来日したビル・ゲイツが同じデモをやった時に、Macの方が早く立ち上がっちゃった、なんて笑えない話もありました。

独立と、最初のランジェリーECサイト

山田

その後、当時の部下と一緒に2人で会社を辞めることになった。仕事上、特に問題があったわけでもないし、会社も大きくなっていました。営業企画部みたいな仕事もやっていたと思います。辞めてからは、付き合いのあったイベント制作会社さんにデスクを借りて、元部下と一緒に個人事業みたいなことをやっていました。その時、知り合いの知り合いがやっていたランジェリーのプライベートブランドがあって、「これを通販しましょう」という話になった。一緒に辞めた部下がプログラマーだったので、「サイトを作れますよ」と。当時はまだ通販サイト自体が少なかった時代です。商品を撮影して掲載して。結局、売れるところまで本格的にいく前に終わってしまったんだけど、その時に「下着は通販に向いている」と感じたことは覚えています。

猪熊

それが今のDeRossiにつながっているのかもしれませんね。

山田

そうかもしれないですね。

04

リズムアーツと、猪熊のワコール時代

1999年以降・二人の歩み

リズムアーツ株式会社

山田

その後、以前仕事をしたことのあるタレントさんから相談を受けたんです。「知り合いに出資してくれそうな人がいるんだけど、自分一人では話を進められないから、一緒に話を聞いてほしい」と言われて。それで一緒に話を聞きに行ったことが、リズムアーツを作るきっかけになりました。最初から僕が音楽会社を作ろうと思って出資者を探していたわけではないんです。人から相談されて、その話を聞きに行って、そこから具体的に事業の話になり、会社を作ることになった。当時37歳の投資家さんから「僕、すごいお金あるんですよ(笑)」と言われたのをよく覚えています。

山田

それで設立したのが、リズムアーツ株式会社です。事務所は表参道の、さわやか信用金庫が入っていたビルの上階で、70坪くらいあったと思います。立ち上げはスタッフ3人。サザビー時代の仲間がやっていたインテリア会社に内装をお願いして、かなり豪華なオフィスを作りました。

そこで音楽関連の仕事を始めました。アーティストのプロデュースや音楽制作だけではなく、イベントもいろいろやっていましたね。オフィス自体も広かったので、パーティーを開いたり、人が集まる場所として使ったりしていました。

猪熊

そういう経緯だったんですね。僕はその頃、仕事で深く関わっていたわけではないですけど、あそこで開かれるパーティーには何度か行きましたね。

山田(追記)

リズムアーツで手がけたアーティストの中では、一十三十一さんが一番売れたという印象です。今も活躍されていますよね。それからChari Chari井上薫さんの仕事もあります。『In Time』ではエグゼクティブプロデューサーとしてクレジットされています。あれは僕にとっても、名盤だと思う作品で今でも聴かせてもらっています。

一十三十一『煙色の恋人達』ジャケット
一十三十一『煙色の恋人達』ジャケット。リズムアーツ時代のマネジメント・作品展開を示す資料。
一十三十一『360°』ジャケット
一十三十一『360°』ジャケット。リズムアーツ時代の作品展開を示す提供資料。
井上薫(Chari Chari)『In Time』ジャケット
井上薫『In Time』

猪熊さんのワコール時代

山田

その頃、猪熊さんはワコール本体にいましたよね。

猪熊

そうですね。1999年頃から京都の本社に行って、販売促進や広告宣伝を4〜5年やりました。そこで、複数のブランドを見るようになって。2000年から2001年頃には、全国でラッピングバスを展開するプロモーションをやりました。それが広告電通賞のプロモーション部門で評価されたりしました。

猪熊

「ギャレット」のクラブプロモーションもやりましたよね。

山田

やりましたね。ギャレットのクラブプロモーションは、僕らも手伝いました。ユーザーさんの写真を撮って、スナップを集めていくようなことをしましたよね。渋谷のクラブで、レゲエのイベントだったかもしれない。デビュー前の「AIちゃん」が写っていたり。

猪熊

ありましたね。そういうプロモーションを全国でやりながら、「プロモーションで商品を売る」というやり方を学んでいったと思います。

一つの領域を担当する仕事から、いくつものブランドを横断して見る仕事になった。商品をどう使ってもらうか、どう見てもらうかを、それぞれのブランドで試していた時期でした。

そのあと、2004年から2009年までは青山のスパイラルにいました。アートの仕事をしていた時期です。販売促進、広告宣伝をやって、その後にアートの現場へ行って、さらにまた宣伝の仕事へ戻っていく、という流れですね。

※「ギャレット」は、ワコールが2000年代初頭に展開した、ガーターベルトをファッションアイテムとして提案するブランド。
※青山のスパイラル(ワコールが運営する「生活とアートの融合」をテーマにした複合文化施設)

05

放送・コンテンツ事業からCURRENTへ

2000年代後半–2009

ジャパンコンテンツコンサルティングの設立へ

山田

2006年頃には、リズムアーツから続いていたグループの活動が一区切りになり、グループ会社の代表から辞任したり事業の一部を売却するなど整理していました。

このころに、元テレビ朝日役員で、当時テレビ朝日サービスの社長を務めていた皇達也さんから、「テレビ朝日グループを卒業するので、新しい会社を作る。手伝わないか」と声をかけていただきました。そこから立ち上がったのが、ジャパンコンテンツコンサルティングです。

その前後から、小笠原光隆さんとも仕事をご一緒するようになりました。小笠原さんは大企業であるニフコ創業者・故小笠原敏晶の息子さんで、ニフコの専務、InterFMの代表取締役、シモンズの専務などを歴任された方です。

ニフコは、自動車部品を中心に世界展開するメーカーです。小笠原さんとの関係から始まった仕事の中には、その後のCURRENTの事業につながっていったものもありました。

皇 達也氏
皇 達也氏(故人)元テレビ朝日役員。山田に会社設立を勧め、ジャパンコンテンツコンサルティング設立につながった人物。経緯・役職は山田提供情報。写真:山田提供。

InterFMとテレビ東京

山田

あるとき、知り合いを通じてInterFMの小笠原さんから「InterFMを売りたいので手伝ってもらえないか」と声をかけられました。当時のInterFMは田町のジャパンタイムズのビルにあって、放送局としての事業や組織の状況を見ながら、どう再生していくかを整理する必要がありました。

僕らは、テレビ東京側の担当者と小笠原さんの間をつないだり、関係者の席を設けたり、事業再生計画のような資料を作ったり、InterFM社内で説明会を行ったりしました。最終的な主幹事は野村證券だったと思いますが、僕らはその後方支援をするような立場でした。

当時は、ラジオとインターネットをどう組み合わせるか、放送局としての事業をどう立て直していくか、といった話もしていましたね。

その後、InterFMの売却先となったテレビ東京ブロードバンド、現在のテレビ東京コミュニケーションズに半年ほど席を置いて仕事をすることになりました。神谷町まで毎日通って、午前中はそこで仕事をして、午後は自分の会社の仕事をする、という生活でした。

小笠原さんとは、このInterFMの件だけではなく、その後もいくつかの事業をご一緒しました。そのつながりの中から、後のCURRENTにつながっていく仕事も生まれていきました。

小笠原光隆氏
小笠原光隆氏(故人)ニフコ元専務、InterFM代表取締役、シモンズ専務などを歴任。InterFM、テレビ東京関連、CURRENT、けやき美容クリニックなどの事業で山田と関わった。

2009年前後、それぞれの次のステージ 山田――CURRENTの設立

山田

CURRENTを作ったのは2009年です。最初は、女性ファッション誌『BLENDA』(角川春樹事務所発行)の専属モデルだった吉田夏海の所属事務所としてスタートしました。そこからモデルレッスン、プロモーション、キャスティングへと仕事が広がっていきました。テレビ番組『ノンストップ!』の商品紹介枠の仕事をしたり、通販サイトを作ったり。番組そのものを制作するということではなく、商品をどう見せて、どう紹介するかという仕事ですね。モデル事務所として始まった会社でしたが、人とのつながりや仕事の依頼を受けていくうちに、結果的には制作会社に近い仕事もかなり増えていきました。

06

広告で伝える。からだと生活に向き合う

2010年代・ワコールでの取り組み

リボンブラ、仲畑貴志さん、そして「ラブ、エイジング。」

山田

宣伝部長になったのは何年頃ですか?

猪熊

2010年、2011年くらいですね。その前は青山のスパイラルでアート関係の仕事をしていました。ワコールの宣伝時代で大きかった仕事の一つが、「リボンブラ体操」です。

山田

広告の巨匠、仲畑貴志さんと一緒にやった企画ですよね。

猪熊

そうですね。かなり大きなブレイクになりました。

その後は、同じ宣伝の仕事でも、より人間科学をベースにした「ラブ、エイジング。」のようなプロモーションへ入っていきました。キャッチーなCMを中心にした伝え方から、きちんとエビデンスを持って、からだの変化や商品について伝えていく方向へ変わっていった時期ですね。

ワコール<10歳キラキラ>ガールズオーディション2015

猪熊

初めてブラジャーをつける年齢の女の子たちを対象にした企画もやりました。オーディション形式で、「ワコール<10歳キラキラ>ガールズオーディション2015」という企画です。

山田

CURRENTも事務局的にお手伝いしましたよね。

猪熊

そうですね。小学校高学年、10歳前後からブラジャーをつけ始める子たちを対象にした、かなりデリケートなテーマでした。単なる広告ではなく、教育的なプログラムでもありました。

07

事業を整理し、自分の店を持つ

クリニック運営から2020年代のECへ

けやき美容クリニック

山田

CURRENTをやっていく中で、小笠原さんのグループが所有していた、静岡のけやき美容クリニックのお手伝いもしていました。その後、小笠原さんから資金を借りて、4院あったグループの浜松、藤沢を閉院して静岡本院を残し、そこをCURRENTが運営会社を子会社として設立してそこで買い取って運営することになりました。ただ、クリニックというのは運営するのもお金がかかるし、閉めるのもすごくお金がかかる。結果1年くらいで閉院することになって、本当に大変でした。

猪熊

大変ですね。なかなかできない経験ですけど、どうしてそういうところに出会うんでしょうね。しかも、その渦中に入っていく。

山田

本当に大変でした。毎日新幹線で静岡に通ってましたし、引き継ぎ運営するだけでなく、閉めるときにも大きな費用が必要になるんです。小笠原さんも相続などで大変な時期だったので、お金の扱いは簡単ではありませんでした。それでも、閉院にかかった費用を最終的には出してもらって、片付けることができた。事業を終えるところまで、きちんと整理しなければならなかったんです。

自宅オフィス化とEC

山田

2020年頃、麻布十番などで借りていた事務所を解約して、自宅に仕事の機能を集める方向へ切り替えていきました。ちょうどコロナ禍が始まった時期です。

その頃、融資を受けられたことで資金繰りの面でも助かりました。その資金の一部を使ってAmazonのセラーアカウントを取得し、ECを始めました。最初に扱ったのは中古カメラで、1年ほど販売していました。

2021年には現在の住まいへ移転して、住まいと仕事場を一体化しました。事務所を別に持つのではなく、自宅に仕事のインフラを集約していく形に変わっていったんです。

Amazon中古カメラ販売に参入

山田

アマゾンの中古カメラって、仕入れが本当に大変なんですよ。ヤフオクなどから仕入れて、日本国内だけでなくeBayで海外にも販売できる。特にNikonなどの昔のフィルムカメラは、アメリカで高く売れることもありました。

ただ、フィルムカメラは状態確認が難しい。デジタルカメラなら外観や動作をまず確認できますが、古いフィルムカメラは内部のカビや劣化、細かな状態まで見極めないといけない。かなり専門的な知識が必要なんです。

僕にはちょっと合わないなと思って、その事業からは撤退しました。アカウント自体は、買った時とほぼ同じくらいの金額で売却できました。

DeRossi ShopifyEC事業を買収

山田

中古カメラの事業を売却した後、DeRossiというEC事業を買収しました。当時はインテリアショップで、ShopifyのサイトとInstagramがある程度連携された状態でした。それを事業譲渡という形で40万円で買ったんです。

僕はそれまでShopifyもInstagram広告もほとんど触ったことがなくて、ここから初めて仕組みを知っていきました。

ちょうどコロナ禍で宅トレが広がっていた時期だったので、インテリアからフィットネスウェアへ方向転換しました。レギンスのような、ヘルシーで少しセクシーで、自宅でも使える商品がいいんじゃないかと考えて、サイトをリニューアルしたんです。

それで試しにInstagramのアプリから1日500円の広告を出してみたら、その日のうちにレギンスが1本売れた。そこから「これはもっとShopifyやInstagramを理解しないといけない」と思って、運用を覚えていきました。1年目には、月商200万円くらいまで伸びたと思います。

小正聡子さんとの出会い

山田

その頃、ベストボディ・ジャパンで活躍されていた小正聡子さんが、たまたまサイトを見てくださって。「何かお手伝いできませんか」とインスタDMで連絡をいただいたんです。僕はフィットネスやトレーニングについて全然分からなかったので、いろいろ教えてもらいました。トレーナーさんや、実際にトレーニングしている女性たちを集めてもらって、Instagramライブをやったり、写真を撮ったり。

お客様の反応を見ながら、ブランドの作り方を勉強していった。1年目はそんなことを一生懸命やっていました。

山田

販売は中国の仕入れ先とつないでいて、商品は中国からお客様へ直接送られる形です。在庫を自分たちで抱えないドロップシッピングの仕組みで進めていました。

小正聡子さん(AI制作イメージ)
小正聡子さんDeRossi立ち上げ初期に、商品やフィットネス、顧客層への理解を支えた協力者。トレーナーやモデルを集めた撮影・Instagramライブなどにも関わった。写真は山田提供のAI制作イメージで、立ち上げ当時の記録写真ではない。

08

DeRossiの転換。顧客と商品の見方

CAXULとの並行運営・ランジェリーへの展開

40〜60代女性という市場

山田

DeRossiを立ち上げた頃は、ベストボディ・ジャパンをはじめ、ボディメイクコンテストがたくさんあった。コロナもあって、健康意識も高まりました。40代、50代くらいの女性で、自分にかなりお金をかけて鍛えている方がたくさんいたんです。DeRossiのお客様も、若い方より40代、50代が中心になっていったと思います。いわゆる「美魔女」的な層ですね。

さらに60代くらいの女性までが参加する、全国のミセスコンテストみたいな世界もある。ドレス審査があって、トレーニングやレッスンを受けて、イベントに参加する。子育てが終わって、もう一度「自分自身」に戻る。そういう方たちが、Instagramで自分を見せることにも積極的だった。

猪熊

その方たちからすると、いいですよね。華やかな時代を生きて、そのあと子育てなどでいろいろ苦労して、自分のことはいったん置いておく。子どもが成長したところでもう一度、自分に戻っていく。その変身のような部分があるんでしょうね。

フィットネスウェアからランジェリーへ

山田

そこで、「フィットネスウェアだけじゃなくて、下着も合うんじゃないか」と思った。それまではトレーニングウェアの延長のような、シームレス系のインナーを少し置いていました。そこから、少しづつテスト的にレース系ランジェリーを増やしていったんです。仕入れ先を見ると、そういう商品はたくさんあった。試しに入れてみたら、結構売れる。しかも、単価を高く設定しやすい。

客単価を上げる必要があることも分かってきたので、ランジェリーの方がビジネスとして相性が良かった。

山田

皆さん、見せることにもすごく積極的なんです。Instagramという場所があるから、きれいな写真を載せたい。トレーニングウェアはトレーニングをする人が中心だけれど、下着はみんな身につけるものですよね。

DeRossiの現在の方向性

山田

セレクト基準としては、写真がきれいで、アダルト色が強すぎない。いわゆるアダルトグッズの世界にならないようにする。La Perlaのような、ヨーロッパのランジェリーブランドに近い世界観かもしれません。徐々にランジェリーの比率が高くなって、今では8割くらい。最初は3,000円くらいの世界から始めたんですが、今は平均客単価が1万円近くになっています。4点、5点まとめて購入される方も出てきました。それと、購入者の4割くらいが男性なんです。

猪熊

それは自分用なのか、ギフトなのか。

山田

分からないんですよ(笑)。Sサイズを買われる方はギフトかなとも思うんですが、XLを買う男性もいる。いろんな方がいていいと思うんですけどね。

猪熊

上下のどちらが多いんですか。トップスなのか、ボトムスなのか。

山田

上下を別々にすると管理もややこしくなるので、最初からセットのみにしているんです。男性のお客様については、自分用なのか、ギフトなのか、頼まれて買っているのか、、、META広告のデータをみると50-60代の方が多いです。

09

AIを、日々の作業に組み込む

2026年・監査、商品登録、記事制作

AI運用への転換

山田

ここ半年くらいは、完全にAIの世界に入っています。それまではMeta広告にしても、Shopifyにしても、LINEにしても、全部感覚でやってきました。ツール同士がつながってはいるけれど、その設定の中身までは見ても分からない。そこをAIに見てもらうようになった。Shopify、Meta、Googleなどを連携すると、まず「今どういう設定になっているか」を監査できる。監査させると、エラーや不足が大量に見つかる。

そのエラーを「直してください」と言うと、実際に設定画面へ入って修正できる。エージェントなので、操作までできるんです。

山田

本格的に変わったのは、ここ3か月、特に直近1か月くらいの感覚です。それまでは、アプリをつないだり、Metaの設定をしたりしても、中身は見てもよく分からなかった。人にやってもらったことも、自分で少し触って積み重ねたこともあります。画面のポインターが動いて、数値を入れていくのが見える。そこまで実際に作業が進むのを見て、ここまでできるんだと驚いています。

猪熊

中に入り込んで、実際に直していくということですね。

AIによる監査と事業計画

山田

ECプラットフォームであるShopifyやBASEのページの中でSEOで必要なキーワードが商品ページに入っていない、といったことも分かる。まずは「今、何をしなければいけないのか」を全部整理しています。さらに、「今このくらい売れていて、この状態から1年で売上を倍にするには何をすればいいか」という事業計画まで一緒に作る。何をやれば、どのくらい売上が上がる可能性があるのか。そこにどれくらいコストがかかるのか。そういう目安を積み上げていく。

そして、その中で「どこまで自分がやるか」「どこまでAIにやらせるか」を整理する。

山田

あくまで目安ですけれど、何をすればどのくらい、という数字を積み上げると、全体の規模感は見えてきます。ただ、それを誰がやるのかという問題が残る。計画だけできても進まないので、実現するための時間と労力まで考えています。

複数PCでAIを動かす

山田

1台のPCだけでは間に合わないと思って、パソコンも新しくしました。AIを動かすには、やっぱりある程度スペックが必要です。画面も2つにして、一方でAIを動かして考えさせている間に、もう一方で別の仕事をする。さらにもう1台増やして、同時並行で作業させる。朝起きたら、広告データのチェックなどをまずやらせる。そんな運用に変わっています。

山田

一つの画面でAIに作業をさせている間、「考え中」だからといってこっちまで止まっていたら、時間がもったいない。もう一つの画面で別の作業を進める。さらにもう1台でも作業する。そういうふうに、待ち時間を別の仕事に使えるようにしています。

Shopify商品登録の自動化

猪熊

GPTにやってもらうというのは、具体的にはどうするんですか。画像があって、商品があって、「これとこれ」というふうに渡すんですか。

山田

商品登録もかなり自動化できるようになりました。まず商品を自分で選んで、取り込み用のアプリでShopifyへ入れる。商品のベースができるところまでは、自分でやります。その後、商品名を変える、商品説明を書く、サイズ、スペック、注意事項、価格を入れる、といった作業はGPTに任せる。

商品名の付け方、商品概要、サイズ、スペック、注意事項というルールは、あらかじめ決めてあります。色やサイズ、それ以外の商品情報の入れ方も決めて、それに従って処理してもらう。価格もこちらの指定を入力してもらいます。途中も最後も確認しますが、一つの商品について数分で進められるところまで来たので、かなり時間は短縮できています。

山田

リサーチと取り込みまでできたら、もっと大きく変わるのでしょうけれど、今は商品を選ぶところは自分でやっています。

記事、LINE、メルマガまで

山田

1日4〜5商品登録したら、その商品を使った特集記事まで作れる。例えば青いランジェリーが増えたら、「ブルーランジェリー特集」の記事を作らせる。その記事をサイトへ掲載する。さらにLINE一斉配信やメルマガまでつなげられる。ただ、実際に数字を見ると、LINE経由の売上が思ったほどないことも分かった。だから、LINE施策は止める。そういう判断もデータを見ながらできるようになりました。

山田

記事も、何も言わず勝手に作っているわけではなくて、こちらから企画を指示します。自動化できたから全部続けるのではなく、効果がなければ止める。できることと、効果があることは違うんですよね。

AIはまだ間違える

猪熊

そうすると、山田さんがやる仕事は何になるの?

山田

全部がノンストップで進むわけじゃないんですよ。結構な比率で間違える。例えばサイズの順番がS・M・Lになっているはずなのに、M・S・Lになっていたり。「前回できたのに、なんで今回はできないんだ」って、AIを叱る(笑)。まだまだそういう状態です。でも、これは時間の問題だと思っています。

10

自動化した店を増やす。その可能性と条件

利益、海外展開、広告の受け手

ECを「自動販売機」にする

山田

ECというのは、新商品を登録して、その商品データがカタログとして蓄積され、Meta広告やGoogle広告で配信される。新商品と売れ筋商品を継続的に入れ替えることで、お客様へ新しい情報が届く。この運用をやり始めてから、売上の変動が以前より小さくなってきたんです。月ごとの上下が激しかったのが、10%くらいの範囲に収まるようになり、いきなり売れなくなることが減ってきたように思えます。

もしこのまま1年くらいやって、ほぼ自動運転になったら、「自動販売機」みたいになる。そうなれば、次は店舗を増やした方がいい。同じ仕組みを別の店舗へ展開できる。

山田

新しい商品を足すだけでなく、売れていない商品を表に出さないようにすることもやっています。そうするとカタログの中身がリフレッシュされて、新商品と売れ筋商品の情報がお客様に届く。そうした運用をやり始めたのは、この4月くらいからです。あと3か月なのか1年なのかは分からないけれど、この流れをもっと自動化していけるのではないかと思っています。

客単価と利益率の変化

山田

客単価が上がってきて、利益率も改善しました。最初は10~15%くらいしか利益が取れなかったのが、今は35%くらいになっている。しかも在庫リスクがほとんどない。そうすると、これはこれで非常にいいビジネスに成長させられるのではないか思っています。

受託から自社事業へ

山田

年齢的なこともありますし、今後は受託仕事をどんどん増やす方向ではないと思っています。自分たちで完結する事業を、この2〜3年で増やしていきたい。3年後のAI環境がどうなっているかなんて、もう想像もできない。もし本当に自動販売機のように運営できるなら、DeRossiを海外展開することもできる。

山田

同じ仕組みを別の商品分野でも作れるなら、もう一店舗を立ち上げたほうが売上の幅は取れる。今は一つ作るのに時間がかかっていても、その経験が次に使えるわけです。

海外展開

山田

すでに米国、シンガポールや香港から注文が入ることがあります。サイズ展開も大きいものがあるので、特にアメリカ市場は可能性があると思っています。ただ、海外へ広げると広告費も一気に必要になる。だから、いきなり広げるのではなく、まず国内をしっかりやる。その上で、客単価が高くて、利益が取れて、AIで自動化しやすいカテゴリーを見つけて、店舗を増やしていく。

山田

国内で、客単価が高くて、利益が取れて、自動化に向いているカテゴリーをもう一つ探したい。3店舗くらいをしっかり運営する形ですね。宝石の分野も手がけているんですが、そこには難しさもあるので、別の商材を探してもいいのかなと思っています。

広告は不快なのか

猪熊

広告について聞いてもいいですか。マーケティング業界にいると、インターネット広告はある意味「不快」でもある。見る側からすると、うざい。昔のマスメディア広告には、ある程度のクオリティ管理や、表現に対する歯止めがあった。インターネットでは、いろいろな質のものが混ざって流れてくる。でも、出す側は広告を出さなければ売れないと考える。

山田さんのDeRossiやCAXULでは、見る側の不快感を抑えることと、デザインや写真のクオリティを高めること、そのあたりはどう意識していますか。

山田

DeRossiは基本的に商品画像中心です。CAXULは、なるべくお客様に刺さる動画を作るようにしています。もちろん、広告そのものの見せ方やクリエイティブの質はかなり大事だと思っています。

ただ、僕はこれから2〜3年で、Instagram、Facebook、Googleの広告は、かなり変わっていくと思っています。今よりもっとAIが「この人はこの商品に興味があるか」「この広告を見ても不快に感じにくいか」を判断して、興味のない人にはなるべく広告を見せず、興味を持つ可能性が高い人にだけ届ける方向へ進んでいくんじゃないかと。

つまり、広告主が細かく「この年齢、この地域、この趣味」と指定して追いかけるというより、商品やクリエイティブをきちんと用意しておけば、プラットフォーム側が「この人には見せた方がいい」と判断して配信するようになる。

そうなれば、広告は今みたいに「見たくない人にも出てくるもの」から、必要な人にだけ届く情報に近づいていくと思うんです。広告を見て「うざい」と思う人には、そもそも出なくなる。無駄配信が減りコストも下がる、そんな方向に進むんじゃないかと思っています。

AIターゲティング

山田

例えば、ペットを飼っている人にはペット関連の広告が届く。ペットを飼っていない人には届かない。そういう精度がどんどん高くなっていく。つまり、広告の無駄打ちが減る。購入する可能性が高い人にだけ届けられるようになる。広告主同士の競争は当然あります。でも、一人ひとりのユーザーのライフスタイルに合った広告しか流れなくなる方向へ進んでいくと思います。

猪熊

一つのお店から見ると、お店とお客さんの1対1に見えるかもしれないけれど、お客さんからしたら1対多ですよね。A社もB社も同じようなことをしている。そこでは、やはり他社との競争になるのではないですか。

山田

競争にはなると思います。ただ、同じ商品でも、そのユーザーさんのライフスタイルにより合ったものが届く方向へ行くのではないか、と考えているんです。MetaもGoogleも、その精度を上げようとしているんじゃないか。その仕組みを全部理解しているわけではないし、現状は僕の感覚ではまだ途中ですけれど、欲しい可能性の低い人へ届ける無駄が減れば、購入につながる可能性は高まりますよね。

細かく絞るより、買う人を探してもらうという考え

山田

Meta広告も、今は人間側で細かく触らない方がいいケースが多い。「女性だけ」「20代から30代だけ」「東京都だけ」みたいに絞れば絞るほど、むしろコストが高くなることがある。それより、「買う人を探してください」とAIに任せた方が成果が良い場合がある。リピーターだけに配信するより、広く新規購入者を探させた方が結果がいいこともあります。

猪熊

新規のお客さんを取りたいからといって、どこのエリアの誰というように、最初から細かく指定しないほうがいい、ということですね。

山田

僕の感覚では、そういうことです。例えば飲食店でも、東京都だから都内だけ、品川区だから区内だけ、と決めてしまうけれど、お客様がどこから来るかは分からない。条件を人が細かく入れるより、買う人、来てくれる人を探してほしいと任せたほうが、AIの最適化が働く場合もあるのではないか。これはあくまで、今自分が試していて感じていることです。

成果報酬型広告への期待

山田

広告も、理想を言えば「1件売れたら5,000円払う」みたいな成果報酬型になってくれれば、一番分かりやすい。クリック課金だと、買わない人がたくさん見ればコストだけが増える。でも、1件売れたらいくら、と決まっていれば、極端に言えば「いくらでも売ってください」と言える。AIの精度がもっと上がれば、そういう広告モデルも現実的になっていくと思います。

山田

例えば100回クリックされて一つ売れると、その100回のクリック分が積み上がる。ウインドーショッピングのように見ているだけの人が増えると、売れた一件あたりの負担も大きくなります。

こちらは、一件売るためにいくら払えるかを考えている。例えば一件5,000円まで払えるなら、それを条件にして、商品がある限り売ってほしい。100個売れれば100個分払うし、1,000個売れれば1,000個分払う。そのほうが事業として分かりやすい。

もちろん、売れたのに商品がないということにはできないから、在庫や供給の問題は残る。それでも、売上と広告費の関係がもっと明快になるメニューができたら、こちらとしてはありがたいですね。

11

AIが進んでも、実行の問題は残る

クリエイティブ、会社の規模、人の役割

AIクリエイティブ

山田

AIモデル動画もそうです。今でもかなり人間に近い。これがあと数年したら、ほとんど人間の写真や動画と区別できなくなると思う。そうなってくると、これまでの撮影やクリエイティブ制作のあり方も変わっていく。「かっこいい広告」と「売れる広告」、どちらがいいですかと言ったら、ビジネスでは売れる方がいい。AIが大量のデータを分析して、「こう見せる方が売れます」と言うなら、そちらに寄せていくことになる。

山田

依頼する側のセンスは、もちろん残ると思います。ただ、売れる確率を上げるために、どう見せるかを選ぶことになる。まだ結構間違えるけれど、その精度が上がっていったとき、どこまで仕事の形が変わるのか、ということですね。

一人で、どこまで会社を動かせるのか

猪熊

最近は、AIが人間を支配するのかとか、人間を越えて勝手にやってしまうのかとか、制御しなければならないという話もありますよね。どこまで本当なのかは分かりませんけれど。

山田

今はまだ、AIの言うことをそのままやると半分くらい間違える感覚があります。でも半分は合っている。これが数年後、ほぼ100%に近いと感じるところまで来たら、人間の能力を超えてくる。そうなった時に、AIが人間を支配するのかとか、そういう議論もありますけど、そこは僕には分かりません。ただ、自分がやりたいと思っていることを、形にして実行してくれる。

それだけでも、今まで10人、20人必要だった会社を、1人で運営できる可能性はある。10億円規模くらいまでなら、1人でもできるんじゃないかという気はします。海外では「一人ユニコーン」みたいな話も出ていますよね。

AIの現状の弱点

山田

ただ、今のAIはまだ全然完璧じゃない。新しいモデルが出て「ものすごく賢くなった」と言われても、使ってみると普通に間違える。特に同じチャットで30回、50回とやり取りすると、だんだん破綻してくる。少しずつズレてくるんですよね。そうなったら、一度リセットして、新しいチャットへ全部引き継ぐ方がいい。これが今はすごくストレスです(笑)。

猪熊

一回ずれると、そのあともずれていってしまう感じはありますね。

山田

昨日できたことが今日できなかったり、長いやり取りの途中で違う話を持ち出してきたりする。期待しているだけに、そこはまだ大変です。

AIでできる計画、できない実行

猪熊

例えば僕は日本酒の仕事もしているんですが、蔵に行くと、既存の卸や流通の中で、売れるエリアや売り方が決まっていることがあるんです。限られた量を醸造したものを、きちんと届ける仕組みを作って、見せ方も工夫する。そういうことができたら、とても面白いと思います。そういう仕組みの案も、AIならすぐ作れるんでしょうね。

山田

多分、プラン自体はすぐ作れると思います。問題は実行なんですよ。AIが作る企画書は、ものすごく立派なんだけど、「これ本当に人間が全部やるの?」という内容になることがある。だから、AIで作るプランは、できるだけAI自身が実行できる内容に寄せた方がいい。その方がストレスが少ない。

山田

人間が毎回間に入って、全部つなぎ直すようなことが多いと、そこで時間もストレスも増えてしまいます。AIでできる計画を、実際にAIで進められる仕事へ寄せていきたいんです。

12

仕組みを整える仕事。そして、人との出会い

CSU・営業・対談の結び

広告の前に、設定と連携を整える

山田

それで、前に話したMetaの設定の話につながるんです。広告を走らせる前に、MetaやShopify、Googleなどの設定・連携がちゃんとできていないとダメなんです。高速道路を走っている途中で、一度降りて歩いて、また別の高速に乗る、みたいな状態になってしまう。全部きれいにつながっていれば、一気に走れる。AIを走らせるにしても、連携設定ができていなければ途中で止まってしまう。

猪熊

その連携を、先に整えておくことが重要なんですね。

山田

そうです。結局、人が途中に入って作業するなら、自動化の効果が小さくなる。だから先に土台を整えておくことが大切なんですよね。

広告会社が見ない領域

山田

ネット広告の会社にも最近この話をしているんですが、この設定部分をケアする機能があまりないんです。「Meta広告を運用します」はある。でも、その会社のお客様のMeta環境がどうなっているのか、Shopifyとどうつながっているのか、そこまできちんと見る会社は少ない。面倒だし、怖いし、触ったことがない。でも、そこがきちんと設定されていないと広告もちゃんと走らない。だから、そこは商売になると思っています。

山田

広告会社の人に話すと、お客様のアカウントの奥の設定までは見たことがない、という場合がある。そこを正常につなぎ直す仕事を、その会社の一つの部門としても説明しに行きたい、という話をしているんです。

営業メールの自動化

山田

その会社へダイレクトメールを送っています。毎朝、文章もGPTに作らせる。ターゲットリストをスプレッドシートにまとめて、「今日はこの5社に送って」と言えば、Gmailの下書きまで作る。朝、僕が確認して、送信、送信、送信とやる。本当は一括配信ツールを使う方法もあるけれど、僕の使い方だと、Gmailで20通以上続けて送ろうとしてエラーになったことがあるらしいです。スパムと判定されたのかな、と。

だから、1日10件から20件くらいずつ進めています。月に300〜600件送って、1件獲得できればいい、というくらいで考えています。

山田

いきなり何千通も送るより、コツコツやるつもりです。作った下書きを朝見て、自分で確認して送る。毎日やる中で、送り先の選び方や文章も、少しずつ調整していくと思います。

山田

そんなことを朝にまとめてやるので、朝が一番忙しいんです。広告を見て、商品を入れて、記事を作って、営業の下書きを見て、といろいろ指示する。夜も遅くなってしまうので、早起きして全部、というより、10時には仕事をスタートしようと思っているところです。

原点に戻る。仕事をつないできたもの

山田

そうですね。振り返ると、結局はいろんな人との出会いが大きかったなと思います。原点はやっぱりワルシャワにあるんですよ。

猪熊

そうですね。あの頃から、いろいろな人が集まって、そこからまた別の仕事やつながりが生まれていった。

山田

そうなんです。特に「人を大切にしよう」と意識してやってきたわけではないんですけど、結果的には、人とのつながりから次の仕事が生まれてきた。ワルシャワもそうだし、その後の広告や音楽、テレビ、ECもそうでした。

猪熊

人との出会いが、そのまま次の仕事につながってきたという感じですね。

山田

そうですね。だから、会社や事業の形はその時々で変わってきたけれど、やっていることの根っこはそんなに変わっていないのかもしれない。

人と出会って、話をして、そこから「これをやってみよう」と仕事が始まる。今回こうして猪熊さんと昔のことを振り返っているのも、その延長線上にある気がします。

猪熊

そう考えると、長い付き合いになりましたね。

山田

本当にそうですね。40年近く経っても、またこうやって新しい話ができる。結局、仕事をつないできたのは、人との出会いだったんだと思います。

CURRENTの拠点が入るフォレストゲート代官山
CURRENTの拠点が入るフォレストゲート代官山の外観。建物を主題にトリミングした提供写真。街路・植栽を含む建築の姿を、現在の仕事の場所として添える。

PROFILE

猪熊敏博氏

猪熊 敏博(いのくま としひろ)

株式会社第一紙行 ブランディング事業部 シニア・ブランディング・ディレクター
アートスペース「月だいたい八日」主宰 / NPO法人みんなのお箸プロジェクト理事

教育学部卒業後、1987年に株式会社ピンキー&ダイアン(アパレルメーカー)に入社し、ブランド企画営業等に携わる。1980年代末、東京・芝大門のアドバンストな伝説的クラブ「クラブワルシャワ(KLUB WARSZAWA)」やバブル期のカルチャーシーンを通じて、空間・音楽・広告に携わる多くのクリエイターや異業種のビジネスパーソンと交友を深める。店舗プロデュース、空間プロデュース、企業広告企画などを幅広く手掛ける「近代生活研究所」にも関わる。1991年、株式会社ワコールに入社。企画デザイン事業部を経て、インテリア事業、複合文化施設「スパイラル」でのアート関連事業やなど文化と商業が交差する現場でのキャリアを重ねる。スパイラル/ワコールアートセンター時代は、愛・地球博協会公式アートプログラムの広報を担う。またスパイラル主催のアート企画の広報、Cayをはじめとする料飲事業のプロデュースを行う。在籍中、レントゲン藝術研究所の池内氏と共同でエマージェンシーアートフェアを立ち上げる。15年続くアートコレクターの集まりワンピース倶楽部にも参画、ロゴマークデザインに携わる。

2009年より広報・宣伝部へ移り、2011年に広報・宣伝部部長、2015年に執行役員に就任。全国でのラッピングバスプロモーションや「ギャレット」マーケティング施策では広告電通賞(プロモーション部門)を受賞。「リボンブラ」をはじめとするプロモーションを展開から、単なる商品広告にとどまらない人間科学のエビデンスに基づいた「LOVE AGEING」プロモーションなどを通じて、ブラの売り上げを回復させる。デリケートな成長期に寄り添う「10歳キラキラプロジェクト」など、生活者の心とからだに深く向き合うコミュニケーションを統括・プロデュースした。2016年10月には、京都駅八条口に美的好奇心をあそぶ学び場「ワコールスタディホール京都」を開設・立ち上げを主導。その後、未来事業推進室長として次世代の生活者エンゲージメントを創出する事業開発を牽引し、2023年3月に同社を退職。

2023年4月より株式会社第一紙行に参画。長年のマーケティング・広報宣伝・事業開発の知見を活かし、企業のブランディングと事業経営を結びつける包括的なブランディングディレクションを行っている。

企業人としての活動と並行し、社外でも広くマーケティング・クリエイティブ界の発展に寄与。「ad:tech kansai(アドテック関西)」アドバイザリーボードメンバー、「MARKETING・X」アドバイザリーボード、「Ne Plus U(ネプラス・ユー)」カンファレンス登壇・評議員、ワコール在籍中は日本アドバタイザーズ協会の理事、また同協会が主催する「Webグランプリ」特別審査委員などを歴任している。

また個人活動として、神奈川県横須賀市田浦の市営月見台住宅(リノベーション団地)にて、オルタナティブなアートスペース「月だいたい八日」を開設・主宰。地域に根ざした美術展の企画・キュレーションや歴史アーカイブ活動を行うほか、「NPO法人みんなのお箸プロジェクト」理事・箸育インストラクターとして「箸作り」ワークショップや食文化の伝承活動を行うなど、商売・デザイン・アート・暮らしを地続きに繋ぐ多彩なクリエイティブ活動を展開している。

REFERENCES参照先

  1. [1]大鵬薬品工業|ウレパールプラスローション10https://www.taiho.co.jp/chc/product/urepearl/lotion/
  2. [2]一十三十一 Official Site|プロフィールhttps://www.hitomitoi.com/
  3. [3]宣伝会議|ものづくりの魂を広告に、クリエイティブの品質向上へ(2014年7月号)https://www.sendenkaigi.com/marketing/media/sendenkaigi/002612/
  4. [4]インフォバーン|ラブ、エイジング。支援実績https://www.infobahn.co.jp/works/6351
  5. [5]ワコール|10歳キラキラ白書 2018年版(2018年3月2日)https://www.wacoal.jp/news/newsrelease/201803/release145215.html
  6. [6]InterFM|公式会社情報・沿革https://www.interfm.co.jp/about
  7. [7]テレビ東京コミュニケーションズ|会社概要https://txcom.jp/company/
  8. [8]ビジネス+IT|アドテック関西、猪熊氏・ナカヤマン。氏の講演記事(2017年10月6日)https://www.sbbit.jp/article/cont1/33943
  9. [9]山田提供の参考動画|リボンブラ体操https://www.youtube.com/watch?v=klFAy4vcdag
  10. [10]山田提供の参考ページ|Chari Chari『In Time』https://www.newtone-records.com/product/0095576
  11. [11]ニフコ|公式サイトhttps://www.nifco.com/index.html
  12. [12]けやき美容クリニック|公式サイト(画面資料は山田提供)http://www.keyaki-bc.com/
  13. [13]山田提供の参考記事URL(本文未引用)|CNET Japanhttps://japan.cnet.com/article/35107964/

写真・資料画像:山田提供。書影・記事画像は各該当箇所に資料種別を表示。

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